なぜパドレスは茶色なのか?ユニフォームに秘められた歴史と想い

パドレス

みなさん一度はこう思ったこと、ありませんか?

「パドレスって、なんで茶色なの?」

MLBの30球団の中で、茶色をメインカラーにしているのはサンディエゴ・パドレスだけ。 しかも、かつてはネイビーを採用していたのに、わざわざ”茶色”に戻しているのです。

実はこの色には、サンディエゴという街とチームの“原点”が込められているのです。

今回は、パドレスのユニフォームに込められた意味と、それを支えるチームの歴史を紐解きます。


第1章:誕生と茶色のルーツ

パドレスは1969年、MLBの拡張によって誕生した新球団です。

チーム名の「Padres(パドレス)」はスペイン語で「父」。カトリックでは神父を意味します。 名前の由来は、1936年に創設されたマイナー球団「サンディエゴ・パドレス」。さらに遡れば、18世紀にサンディエゴの街を築いたスペイン系カトリックの宣教師(神父)たちにルーツがあります。

初代球団社長バジー・バヴァシは、その歴史や文化を表現する色として、茶色と黄色を選びました。

  • 茶色 → スペイン系修道士のローブ、アドビ建築の土壁の色
  • 黄色 → 太陽、砂、温暖な気候、ラテン文化の明るさ

そしてマスコットの「スウィンギング・フライアー」は、茶色いローブに丸刈り頭(トンスラ)という修道士そのものの姿。あの“ハゲたおじさん”のビジュアルにも、しっかり意味があったのです。


第1.5章:消えかけた球団、そしてレイ・クロック

1974年、パドレスは経営難からワシントンD.C.への移転が内定。 「ワシントン・ナショナルズ」などのチーム名も用意され、野球カードには”Washington”と印字された選手カードまで登場しました。

そんな危機を救ったのが、マクドナルド創業者レイ・クロック。

彼は「このチームはサンディエゴにあるべきだ」と宣言し、買収。球団は移転を回避し、サンディエゴに根を張ることになります。


第2章:Mr.パドレス、トニー・グウィン

1980年代、チームの象徴となる選手が登場します。 “Mr.パドレス”こと、トニー・グウィン。

  • 首位打者8回
  • 通算3,000安打、打率.338
  • 20年間パドレス一筋

パドレスはグウィン在籍中に1984年・1998年と2度ワールドシリーズに進出(いずれも敗退)。 彼の存在は、弱小チームにとっての誇りであり、希望でした。

しかし2001年に引退すると、パドレスはユニフォームカラーをネイビーに変更。 かつての”サンディエゴらしさ”が少しずつ失われていきます。


第3章:低迷、そして原点回帰の声

2004年には新球場「ペトコ・パーク」へ移転。 景観の美しさでは評価される一方、チームは低迷を続け、2010年代は暗黒時代に突入。

  • 10年で勝ち越しは1回のみ
  • プレーオフ進出ゼロ
  • ユニフォームもコロコロ変更

フロントの方針も定まらず、“パドレスらしさ”は完全に見失われていました。

そんな中でファンの間から聞こえてきた声――

「やっぱり茶色がパドレスらしいよな…」


第4章:茶色、復活

2020年、パドレスは約30年ぶりに茶色ベースのユニフォームを復活させます。

これは単なるデザイン変更ではなく、原点回帰の象徴でした。

背景にはファンによる「Bring Back the Brown」運動の存在があり、 「茶色こそがパドレス」「それがサンディエゴ」――その声が球団を動かしたのです。

そこからチームも進化。

  • タティスJr.の登場
  • マチャド、ソト、ボガーツらスター加入
  • 華やかで勢いのあるチームへ

そして、サポートし続けたのがオーナー、ピーター・サイドラー。

2012年から球団経営に参画し、マチャドやボガーツなどに次々と大型契約を提示。 「サンディエゴに優勝を」という信念を持ち、球団を本気で強くしようとした人物です。

彼は2023年に逝去しましたが、その想いは今もチームに生きています。


まとめ:茶色の意味とは?

パドレスはなぜ茶色なのか?

その答えは、街の歴史と精神にありました。

  • 茶色は、サンディエゴの文化と信仰の象徴
  • 一度は失った“自分たちらしさ”を取り戻した色

茶色いユニフォームを身にまとい、パドレスは今―― “自分たちらしさ”を胸に、再び夢の舞台を目指しています。

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